11年目の区切り!

家族
01 /17 2006
今日で震災から11年の月日が流れた事になる。
公の行事は10年を迎えた昨年を最後に一応は終了。
今年は地域、地域での心のこもったメモリアルデーとなった。

震災犠牲者は6434名なのだけど、、今年からは新たに誰にも見取られずに命を落としていった、震災を遠因として亡くなられた人達も犠牲者として人数に加えられ、神戸市の中心地にある「慰霊と平和のモニュメント」では6595本のろうそくを並べたらしい。
sinsai5.jpg

うちの近所では震災以降に亡くなった方がおられる。もちろん加齢による病気や、癌等の急な病気の人もいるのだけど、震災後のストレスが原因で命が短くなったのではと思う。

瓦礫撤去作業、被災証明を取るための寒風の中での長蛇の列、
夏の炎天下での境界線の再確認作業、、粉塵の中をただひたすら歩くしかなかったし、ストレスに負けて病気になった人も多いと思う。
11年の間に住む人が変わってしまった。。当時一番元気だった母も血液の癌になって病没した。
震災でおじいさんが埋まって即死した右となりのお宅はお家を再築されてすぐに奥さんがなくなられ、ご主人が一人で住んでおられたけど、その2年後にご主人も亡くなられ。。。家族全員命を落とされてしまった。今は親戚の方が借家にされている。

11年前テレビ局のインタビュアーがうちの町内に来て、一人一人に何が欲しいか聞いて回っていた。
「水」「食べ物」「暖かいもの」とみんなが答えていき、当時は住民ではなかったのに、実家の火災で焼け出されて煤だらけの顔だけ出して、毛布を頭から被った私にもマイクが突き出された。
sinsai3.jpg

迷わず「お金です」と答えた。
このテレビはNHKで全国放送だったので沢山の友達や親戚が見ていた様で、後から「あんただけえらいリアルやった」と笑われたのだけど、本心だった。

家からまだ煙が立ち上がってる時、消防士さんは「これは震災による火災じゃない、24時間も経ってから出た火災なので、必ず保険が出る様に・・・いつでも証人になるから」と言って下さっていた。
でも、・・・多分出ないだろうというのがわかっていた時なので、カメラに訴える様に言った。 今もよく出るニュースキャスターだったが、インタビューが終わってからも追いかけて行って、保険に不利になる様なところに使わないでくださいと頼んだ。

結局は「水が出ないのは地震のせいだ」と天災扱いでお見舞金しかもらえずに交渉は決裂だった。。。

夕方、あの日に落下した阪神高速神戸線をとおり、落下橋の犠牲になった43号線も通って帰ってきた。
しばらくは走るのが怖かった道。
今はこうやって走れてる・・・そんな今に心から「ありがとう」と言いたい。
夜、食後にウォーキングに行く様にしてるのだけど、今夜は家から芦屋までを歩いて、当時を思い起こしてみた。

神戸がどんなにきれいに生まれ変わっても、、、忘れない日!

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

11年

あっという間の11年。
被害のひどかった地域では激動の11年でしたね。
今は傷跡もほとんどわからないくらい復興して人間のたくましさを感じますがそれは表面上だけど・・・
4歳だった娘に聞くと覚えていないそうです。あれだけしばらく夜をこわがったのに。

小さい子供たちもいつまでも恐怖を覚えてたら大変!
時々その時の凄さを教えてあげればいいと思います。

下の娘と一緒に寝ていて、大声というかうなり声をあげた自分の声に驚いたものです。「きゃぁ~」とか「うわ~~」じゃなくて「うおぉ~~~ぉぉ」って感じ(;´Д`A

bon ami

私のとっておきのとっておき! 
ただいま断・捨・離実行中!
でも美味しい情報は集めてますので、よろいく♪