舞姫のお誕生日

08 /24 2016
今日は生きていれば母の80代最後のお誕生日
72歳で亡くなった母は6歳の頃より日本舞踊を習い、仕事をしながら、夜は舞踊を教えるという舞踊家、舞い姫であり、墨絵から始まり、美人画を書く事、日舞の舞台を書く事に余念がなかった、一日本画家として、関西を車で走り回っていた。
私が母から受け継いだ唯一のものは、大阪、神戸市内はもとより、高速道路を自由に走れる様になった事ぐらいだったほど、母は毎日あちこちの稽古場まで車を走らせていた。
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怖がりの私は、高速もドキドキしながらも母を見習ってあちこちに行ったけど、今じゃ高速はドキドキして走れなくなってしまった。
母の私に対する口癖は『あかんたれ」
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大阪弁で意気地無しぐらいの意味なのかな
そんな『あかんたれ』も、何もわからないままに、母の弟子達を他先生に預けに行ったり、母の絵を貰ってもらったり、大量に残った日本画の新品色紙を、夫と文具屋さんに売りに歩いたり、、何と言ってもあの、頑固で強情でうるさ型の父と暮らしたり、、、褒めてくれるのでしょうか?
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17年前のお誕生日には、お茶会にでも参加する余裕を持ってほしいと帛紗挾み、帛紗、古帛紗などの詰め合わせをプレゼントしました。結局日舞の舞台が毎月2、3回は国立文楽劇場であったり、画展があったりでいつも飛び回っていたから、なかなかそんな時間を作る余裕はなかった。
そんな母がふっと体を休めれたのは、微熱が出て病院に行って、急性骨髄性白血病が発見された時だった。
入院後48日間の闘病生活、、、、その間もずっとベッドの上で絵を描いたり、弟子の舞踊の振り付けを考えたり、なくなる10日前ぐらいまで、復帰する事を信じていた

私が送ったバースデーカードと帛紗挾みは母の小物入れに今もはいったまま。
卯年生まれの母に兎の柄のものを選んだ、、、そして渡したのは卯年8月

もし、今命があればまだ踊ってるか?
もうやめて私や孫と買い物に出たりしてるか?買い物代好きな人だったから。
そして、、ひ孫の存在はどうなんだろう、、かわいいかわいいと色々買ってくれるのかな。
編み物が得意だったので、子供が小さい頃、ちょっと寒くなってくると一晩でカーデガンやケープを編んでくれて渡してくれた。
いつ編んだん?と下手っぴの私はいつもびっくり

よく母の事を、美しい方ねと、言ってくださっていたけど、美しいまま舞い姫のごとく天に昇っていった気がする。
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今は母の日舞の舞台の写真、どうしたものか考え中。震災で一旦は焼いているけど、95年から9年絵までの4年間でどれほどの舞台で舞ったことか。。。
それに、自分を描いた母の肖像画を含めた日本画の作品もどうしたものか?と弟や、娘達と考え中。
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そんな母の誕生日の今日は、、お花だけ供えて、ケーキを買う間もないぐらいに忙しい1日、、あかんたれの私は暑さで倒れそうになってしまった。

夕方父の用事を済ませ、、今日から始まる佐渡裕さん主催の「一万人の第九」の練習で西宮へ。久々のドイツ語、、、巻き舌のできない私は声が出せな〜い!
何をやっても舞姫にはかないませんわ
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bon ami

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